松江重頼(まつえ しげより, 1602∼1680): 江戸初期の俳人。晩年は維舟と号す。京都の人で大文字屋治右衛門と称する富裕な京都の撰糸(せんじ, 薄地の絹織物)商人であったという。松永貞徳に師事して古典の教養を身に付けたと思われるが, 連歌を里村昌琢 について学び, このころ西山宗因と知り合った。新興の文芸である俳諧に早くから興味をもち,野々口立圃と共に俳諧選集を作ることを企画,寛永10(1633)年『犬子集』を出版。本書は近世俳諧の出発点となった。正保2(1645)年に『毛吹草』を出版したことが契機となって, 貞徳直系の人々との間に確執が生じ, 様々な攻撃を受けたが,こうした攻撃に屈するような人ではなく, 『毛吹草』を非難した池田正式に対し, 果たし状を突き付けたと『滑稽太平記』に記されている。正式は武士であり重頼は町人だが,正式の方から詫び状を入れて事が収まったという。その後次々と俳書を出版し, そのためにかなりの財産を失ったといわれるが,それを証明するように選集は次第に小規模になっている。それと軌を一にして貞徳門の中から新しい俳人が次々と俳壇に進出,重頼の俳壇的勢力は次第に後退していった。<参考文献>中村俊定『俳諧史の諸問題』, 田中善信『初期俳諧の研究』,乾裕幸『周縁の歌学史』